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2012年12月05日

【TOPICS】世界一周中のサイクリスト「小口良平」さん ナイロビからの手紙。

____Kabutoライダーには、アスリートだけでなく「旅」をするサイクリストの面々もいらっしゃいます。世界一周130カ国・16万キロを自転車で走り抜けるべく、2009年に出発、現在57カ国目を走るアドベンチャーサイクリスト・小口良平さん(おぐちりょうへい/1980年生まれ/長野県出身)より、お便りと写真が届きました。エチオピアから1ヶ月かけてケニアに到着したようです。そこにいたるまでの様々な想いと、印象的なアフリカの風景と人間の様子が綴られています。どうぞご無事に旅を続けてください!_____

④いつでも主人公③(エチオピア).jpg


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☆小口良平<おぐちりょうへい>さん
(1980年生まれ/長野県出身/世界一周中:現在=ケニア共和国)
 ●ブログ▶http://ameblo.jp/gwh175r/












 私は今、ケニアの首都ナイロビにいます。
9月25日、エチオピア首都のアディスアベバを出てから、10月27日にケニア北部のロドルワに到着しました。
アディスアベバから南は、アフリカ有数の難関ルートです。
出発当日、久々の緊張感からか、体が固く、ハンドルが壊れているのではないかと思うくらい、うまく自転車に乗れませんでした。
しかし、走り出せばそこは地球サイクリスト、移りゆく景色が「チャリダーズハイ」を呼び起こしてくれました。

大雨期の終わったエチオピアは、豊穣の秋となり、色も濃緑から黄金色へと変わりました。
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これから向かう「The Africa!」を期待させてくれます。

 アディスアベバから、カイアファールという南部民族の村まではガタゴトではありましたが、アスファルトでした。
標高約2400mのアディスアベバから標高約1600mのカイアファールまでは、アップダウンが続きます。
山と山の間の谷に村があるのではなく、山の頂上付近に村があるのが印象的でした。 村に住む民族は素朴な人々・・・、ばかりではなく、時には子供達が石を投げてきたり、ムチや鎌を振りかざして「Give me money!」と恐喝してきます。
日に三度も自転車にくくりつけていた洗濯物を盗られることもありました。
「こんな思いをしてまで走るルートなのか・・・。」
村に行けば、
「ファレンジ(外国人)は、アバシャ(現地人)プライスで買えると思うな!お前らは自国では1ドルで何も買えないんだから、この国にお金を落とし ていくべきだっ!」
何度か本気の喧嘩もしました。

その度に自己嫌悪しましたが、「これが現状のアフリカ」、そう思うと少しは彼らを理解しようという気持ちにもなれました。

「与えるだけが愛じゃない。奪うことだって愛なんだ。」

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もちろん悪ガキや悪人ばかりではありません。
自転車を生まれて初めて見たというような、おじいちゃん、あばあちゃんもいました。
こちらも噂に聞いていた半裸の民族に遭遇して驚きを隠せない。

「お互いが半歩引いた距離感」

私はこれが自転車旅の良さだと感じています。
「人も自然も適度な距離」を保てるから、お互いが好奇心と尊敬の念を持って、Face to Faceのコミニケーションが取れる。
日本語には素敵な言葉があります。
「親しき仲にも礼儀あり」
私はこの言葉通り、どんな人でも常にこの心を持って接しています。

 膝上まであるような深い川を渡渉し、標高差200mある小刻みな峠を何本も越えました。

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そこに住む人々は、綺麗なフレアースカートを履いた民族、頭に瓢箪を乗せた民族、半裸で唇にお皿をはめた民族、体中に土とバターを塗りたくった半裸民族と、32年間、自転車旅4年をしても遭遇したことのない人達でした。

「The Africa!」

そう叫ばずにいられません!
私の求めていたアフリカがここにありました!
民族のマーケットにも参加しました。
ある人は「ツーリスト相手の法外な商売」、またある人は「嫁探し」、またある人は「仲間の安否確認」。
まるで東京の渋谷ハチ公前のようでした。
そんな陽気な彼らを見て、少しばかり物悲しくなった場面があります。
仲良くなった洋服を着た人と話をした時のことです。
「俺もハメル族なんだけど、あの民族衣装はダサくて恥ずかしいから、あれを着るのをやめたんだ。だってこっちの方がモテるだろ。」
彼らもどんどんと先進技術が村に入っているようで、徐々にですが、彼らの文化も崩れて行っている気がしました。
彼らも暮らしを楽にしたいと思うのは当然です。
それを否定するつもりはありません。
ただ、時代のスピードと彼らの心のスピードが追いついていない気がしました。
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 アスファルトの道路は彼らに「歓び」と「苦痛」の2つを与えました。
彼らの村から村にはアスファルトの道路ができて、物も人も今までになく流通するようになり、「歓び」を与えました。
それと同時に、灼熱の太陽光を受けたアスファルトの上を素足で歩く「苦痛」も与えました。
何十年後、彼らの存在は博物館だけのものとなるかもしれません。

 エチオピア南部のトゥルミ。

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ここからが本格的な難関ルート。
道も荒れたダートに変わります。
標高500mと下がり、地面からは焼け焦げた臭いのしそうな雰囲気です。
出発の朝、体が思うように動きません。
約1ヶ月もかけて情報集めや装備品の用意や関係各所へ連絡の準備してきたのに、肝心の心が恐怖で押しつぶされています。
ベットでゴロゴロとすること数時間。
今までの旅の軌跡と出会った人々の顔が浮かびました。

「行かなきゃ!僕ならやれる!」

この数時間の迷いが私から「過信」を奪い、私の旅を成功させてくれる。
限界挑戦者の「ラインホルト・メスナー」さんや、尊敬する「植村直己」さんだって、この「躊躇」があるから成功出来たんだ!
「君はいつも臆病者の弱虫でいい!」
多くの出会った人達の顔がそう言ってくれた気がします。
私の「プチアドベンチャー」のスタートです。

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 エチオピアのオモラテ川を小舟で越える。
そこからは入国ゲートもない非公式国境-「No man`s land」と呼ばれる、人も獣も虫すら生きていけないと言われる砂だけの大地。
川を渡った私の目の前に広がったのは、ただの土。
よく言ったもので、道なき道とはこう言うものだと感心しました。

赤土の大地。
乾いた風。
灼熱の世界。

何もかもが私の求めていたアフリカがそこにありました。

「バックパッカーが車の中から見る景色がTVだとしたら、自転車から見る景色は、檻のない動物園の中を歩き回るサファリだ。」

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 走ったというよりは、180km、砂の中を押しました。
轍もない道。
私はこのアフリカの大地に、私だけの轍を刻んできました。
どこの地図にものっていない道。
私は自分だけの地図に自分だけの道を残せました。
誰かのつけた轍が歩きにくいということもここで学びました。

「世界は自由だ!人の歩幅に合わせるより、自分の歩きたいように歩いたほうが、実は楽なんだ。」

まるで人生と一緒です。
私が選んだ自転車旅が肯定された気がしました。
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「死ぬまでにしなくてはならない10のこと」がるとしたら、その1つに、「自転車旅」が本気で入ると思います。
「僕の人生最大の失敗は、自転車旅を知ってしまったこと。」
こんなにも面白い人生を選んだことに、思わず逆説で叫んでしまいました。

「ボクハ今 アフリカヲ旅シテイル」
「黒板のいらない、『生きる』授業をした」
人明かりのある場所に着き、夕陽が地平線に落ちる頃、紅蓮に染まる空を見ながら物思いに耽けました。
7日間も押して進んだ難関ルート。
自転車も私の体も満身創痍。
しかし気持ちだけは揺るぎない自信を得て、これ以上ない達成感と満足感でいっぱいでした。
村の教会からゴスペルが聞こえてきました。
メリル(殺人民族)がいると何度も脅された難関ルート。
そこを抜けた安堵。
その心に穢れ無きゴスペルの歌が響き渡り、思わず目に溢れた涙。
全身から抜ける脱力感。
「またアフリカにやられた・・・。人生って本当に楽しいな・・・。」

 現在はナイロビの首都に来て、静養しています。
難関ルートを抜けた安堵感と脱力感から、長居しています。
自転車のフォークが曲がり、キャリアも折れ、チューブもタイヤもボロボロとなりました。
ここにいる間に準備を整えます。

 次は58ヵ国目ウガンダ。
次いで、南スーダン、ルワンダ、ブルンジ、タンザニアと走ります。
年越しは恐らくルワンダ辺りです。

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